Asteya and Veganism(盗まないことと完全菜食主義) asteya-pratishthayam sarva-ratnopasthanam (PYS II.37) 他の存在から盗むことを止めたとき、繁栄(物質的、精神的そしてスピリチュアルな)がもたらされる。  ヨーガスートラで、パタンジャリ師は私たちにヤマと呼ばれる5つのなすべき事、それらは私たちが悟りに達したいのであれば、他の存在をどのように扱うべきかをしめしています。3つめのヤマであるアスティヤは”盗みをしない”ことを意味します。ブラフマナンダ・サラスヴァティ師は、盗みとは”他の存在から価値あるものを許可無なく横領すること”と定義しました。人々は自分が恵まれていない、または”より少ない(ものしか持っていない)”と感じるから盗むのです。彼らは自分たちに足りないものを他から奪うことで、埋め合わせようとします。私たちが盗みをするとき、私たちの未来の幸福に影響するような悲惨なカルマ的結果を始動しているのです。でも、ヨガの練習をすることによって、私たちは自信を得て、しかも完全で完璧であるという気持ちを養います。私たちはもはや満足するために他から盗む必要はなくなります。  精肉、乳製品、そしてファッション製造業は盗みの上に成り立っています。ミルクを母親が生まれたばかりの赤ちゃんに与えるために盗み、ウールをだれかを暖かくさせるために盗み、皮革や毛皮を自分の皮膚を持って生まれたものに着せるために盗むのです。動物を一生涯閉じ込めておくことは、その生涯を盗むことです。動物を殺して食べることは彼らの命を盗むことです。精肉と乳製品の製造業は私たちに、動物たちは自らの生きる目的を持っているとは考えさせないことに成功してきました。動物たち自らの生きる目的には、人間によって搾取され、消費されることは含まれません。  現代では、私たちは肉や乳製品を食べる時にそれを他の存在から盗んでいるとは考えません。なぜなら、動物たちは私たち人間の利益のために存在しているのだと考えるように、私たちの文化によって欺かれているからです。実際、私たちが動物を食べることは当然だと思われていて、そのことに疑問を持つことはおかしな事だと見なされるのです。しかし真実は、動物たちは自分たちが売り買いされることに同意したことは決してないのです。私たちは今まで、自分勝手な理由で動物たちの命を盗んできました。パタンジャリ師によれば、このことは私たちの物質的、精神的、そしてスピリチュアルな繁栄に貢献しないのです。  あるひとが”もし人が肉を食べることを選んだのなら、それは彼らの勝手でしょ。私たちはおせっかいをするべきじゃないし、ひとの食べ物の好みには寛容で融通が利くべきだよ。”と言うときに、ヨギにふさわしい回答は、私たちがすることは何であれ、私たち全員に影響するということです。誰かが肉を食べるとき、それは私たち全員に影響するのです。なぜなら恐ろしいほどの環境破壊が食肉と乳製品製造業によって地球にもたらされるからです。肉を食べることにより、私たちは膨大な数の動物達の命と幸せを奪っているだけでなく、この世界に生まれてくる未来の世代から新鮮な水ときれいな空気を奪ってもいるのです。  大勢の人類が飢え始めているときに、私たちは動物たちの苦しみに心を配ることができるでしょうか?できます。動物たちについて心配することは、人類について心配することをさまたげることはありませんし、それどころか菜食主義は地球と飢餓の減少に直接貢献するのです。人間の子供は二分ごとに栄養失調で死んでいます。それなのに7kg-9kgの穀物が450gの肉を作るために使われています。もし、アメリカ人の肉を食べる人達のたった10%が、菜食を選択したなら、1200万トンの穀物が人類の食物になります。これは6,000万人の毎年飢えて亡くなる人達をサポートするのに十分な量です。私たちがasteya-盗まないことの実践の恩恵を理解するようになったとき、それは人類の来るべき飢餓を撲滅し、食べるのに十分なものとなるのです。 -Sharon Gannon, adapted from Yoga and Vegetarianism 日本語訳Akkie