Radha-Krishna-Satsanga  あなたの心の中の思考の流れが、外的世界に対応している感覚機能によって動いているとき、つまり、感覚的世界に対応しているとき、その思考の流れはdha-raと呼ばれます。そして心の中の思考の流れが、あなたの内的な世界とBrahmanのありか、そして真なる存在のありかに向いた第三の目の上で働くとき、この思考の流れは、dharaの逆として、ra-dhaと呼ばれます。  あなたが自分の頭の前面を真ん中(訳注:額)の部分、その上(訳注:額から上、頭頂にいたる部分)と下(訳注:額の下、目や鼻等の感覚器官がある。)に分けると、下の部分は感覚の世界に対応します。真ん中の部分は、第三の目と呼ばれ、神話における三位一体の神々であるブラフマ、ヴィシュヌ、そしてシヴァの座所なのです。上の部分は、ブラフマン、真なる自己、真なる存在、そしてサハスラーラ・チャクラのありかなのです。(ブラフマとブラフマンは異なります。ブラフマンは真なる存在のことであり、ブラフマは創造的な知性であり、三位一体の神々のひとりです。)  外向きの思考の流れ(dhara)により、私たちの意識は感覚世界で様々に浮かれたり、落ち込んだりしています。私たちが第三の目に向かうとき、意識は全ての精神的な浮き沈みから自由になるのです。その状態をKrishnaと呼びます。Krishという言葉は“破滅”を意味し、naは“~しない”を意味します。このように、その精神的な境地において、私たちは全ての精神的な変動からの自由を得ることができるのです。  従って、Krishnaは自分の内面に向かう思考の流れ、Radhaに惹きつけられる状態です。その状態に集中することにより、あなたは自分自身が純粋な気づき、純粋な意識であって、外的世界により浮き沈みするものではないことを感じるのです。あなたのこころはnadam、宇宙的な音楽、全ての二元論から自由な宇宙的なエネルギーに融合していきます。この状態において、あなたのこころはshuvamであり、ゼロ(0)であり、いかなる思考もなく、神聖な美徳に満ち、そしてあなたの意識は数学的な到達点となるのです。  このようにRadhaとKrishna、あるいはshuvam(ゼロ(0))と到達点(意識)は出会って一つになり、Krishna(訳注:クリシュナ神)のフルートあるいはnadamにより、非二元論へと融合します。私たちがこれを経験するとき、私たちは自己の真なるありかた、Radha-Krishna-Satsanga(Radha-Krishna-SatsangaとはRadhaとKrishnaがクリシュナ神のフルートによって出会うこと)を感じるのです。そして全宇宙はRasa Lila、真なる神の舞踏、真なる自己へと、存在の全てを伴って、融合するのです。  私たちの(訳注:外的世界に感覚器官に)囚われたこころは鹿のように落ち着きがなく、いつも動いていて、一方でnadamあるいはクリシュナ神のフルートは聖なる音楽なのです。その聖なる音楽により、私たちのこころの鹿は完全に静まるのです。そして私たちは自身の真なるありかたを経験することができるのです。“静まることで、真なる自己を知る”  私たちは外的世界に囚われたこころをコブラに、そしてnadamを蛇遣いの音楽にたとえることができるでしょう。あなたは、クリシュナ神のフルートに魅せられたコブラの神話を描いた絵画を見ることができます。このコブラは六つの頭を持ち、五つの頭は五つの感覚に、六つ目の頭は思考に相当します。クリシュナ神はフルートを手にコブラの頭の上で踊り、猛毒を持つ蛇(私たちのエゴ、思考)をnadam(内なる光と音)により魅了します。ちょうど蛇遣いが彼の蛇をうっとりとさせるように。従って、nadamは例外なく素晴らしい蛇遣いと言えるのです。  あなたが瞑想するとき、あなたはこの事実を見て、感じて、確認することができます。それはあなた自身が経験する物語です。あなたが第三の目を超越したのち、あなたはRadhaとKrishnaの邂逅を感じることができるでしょう。 -Shri Brahmananda Sarasvati, excerpted from his book Radha-Krishna-Satsanga, pages 1-3, 1988 日本語訳 Akkie