キルタン 神の名を繰り返し唱えることで、徐々に、でも必ず私たちのうちにあるものは覆いを外されて、私たち自身に対して直接そして個人的にあらわになるのです-クリシュナ・ダス ハレ クリシュナ、ハレ クリシュナ、クリシュナ クリシュナ、ハレ ハレ ハレ ラマ、ハレ ラマ、ラマ ラマ、ハレハレ  ヨーガの古典は”時代あるいは時期”を意味するユガ毎に最も適したスピリチュアルな活動方法を伝えています。今この時代であるカリ・ユガの間は、サンサーラの車輪からの解脱を得る為に最も効果的な方法は、神の聖なる御名を唱えることです。世界は音なのです。全ては音の明らかな継続と音の振動として続いているのです。音、例えばマントラのチャンティング(多くの宗教でのお祈りの様なもの)は人を神の身元へと導きます。そしてハタ・ヨーガ・プラディピカではある人が神を見いだした時、彼あるいは彼女は音を見いだすだろうと述べています。Mantraとは二つの音からなるサンスクリット語です。manとはmind(心)を意味し、traとは(転換すること)あるいは(守ること)を意味します。文字通りの意味では、mantraはある人の心を習慣的で無意識的なパターンの転換そして自由になることを助けるということになります。  マントラのチャンティングは個人的になされることが多いものですが、グループで行うこともできます。おそらく私たちが神から遠く隔たっている為に、私たち皆が社会的な習慣からそして肉体と感覚、他の物事の結果による居心地の悪さのせいで、人前で話したり歌ったりすることに強い恐れを抱いています。ヨーガの練習としてのキルタンはこの現代生活のジレンマの治療となるのです。  キルタンとは、”口にする、話す”という意味です。キルタンはコール・アンド・レスポンス(呼びかけ)方式で神の御名あるいは神の栄光を歌います。普通キルタンはグループで行われ、キルタン・ワラというリードシンガーがいます。彼はひとつのメロディラインを歌い、グループの皆は同じメロディラインを歌い返すのです。優れたキルタン・ワラはグループをより深くより高いエクスタシーへと導きます。それは理性的な心をハートへ溶かし込み、しばしば最高のエクスタシー的忘我と喜びの熱狂的涙へと到達するのです。この幸福感において人は俗世の問題を忘れ、愛だけが法である意識の最も高度な段階へと至るのです。神の御名は神そのものと見なされるがために、神の御名を歌うことは神を招来し、神との密なつながり(ヨーガの究極目的)へと没入することです。魂の奥底からの神への憧れは人をして感覚の深い深いところへの探求へ駆り立てます。なぜなら感傷的なラブソングにおいてさえも、源へ回帰することにたいする甘い憧れがその内側にあるのです。  15世紀のベンガル(インド東部の一地方)人でバクティヨギーの聖人であるチャイタンニャ師は現代キルタンの父として尊敬されています。彼にはスピリチュアルな練習としてのキルタン人気を高めた功績があります。チャイタンニャ師以前では、キルタンはマントラの暗唱として何世紀も続いていました。でも彼はそれを取っ付きやすくし、その結果私たちはこう言えるのです”ホット”で”ヒップ”で素晴らしく神聖なもの!彼は人々をダンスフロアーに上げたのです!彼は人々の心と身体を動かし、震えさせるひとでした!そのエクスタシーの経験は神の御名を歌うことと喜びの忘我からわき起こり、それは魂の自由化だけでなく人を多くのレベルつまり身体と知性からも自由にするのです。あなたはバクティヨーガの練習の為に文法を学び、長くて複雑な古典を暗記する必要はありませんし、神の実在について議論する必要もありませんし、何年も洞窟の中で孤独に座って瞑想する必要はなく、あなたは呼吸をコントロールして心臓を止める必要も無く、身体をねじ曲げる必要も無いのです。あなたは訓練された音楽家でもダンサーでもなくて良いのです。あなたは自分から進んでくつろいで、神の聖なる御名を歌い始めるだけで良いのです。音のマジックは安らぎをもたらすでしょう。  私たちの文化では、人が考えることと感じること、言うことと成すことが異なっていてもそれは普通のことと考えられています。キルタンの練習によって、神聖な雰囲気あるいはあらゆる感情を認めるbhavの中で抑制された感情を浮き上がらせるにまかせて純化させることにより人は実際に一つになることが出来ます。キルタンはハートと抑圧的な日常で閉じ込められた感情を解き放つのに良い機会です。古い錬金術の教えは繰り返えしの魔法こそが上昇を引き起こすと述べています。私が思うにこれがキルタンで起こることなのです。あなたが同じフレーズやマントラを何度も何度も繰り返し単純なメロディに乗せてチャンティングすることで、あなたが束縛の無い陶酔、笑顔、笑い、そして時にはダンスするに至るまでに感情は高まるのです。一度でもあなたがこのような経験をしたら、どこまで感情を表して良いかということに関するあなたの理解は変わってしまい、それこそがマジックなのです。バクティの領域では、複雑な儀式の執り行い方、あるいは哲学的な議論の仕方やアサナをする方法を知ることは、何の意味もありません。魂が神の御元にあるとき、愛だけが至高のものとして君臨するのです。キルタンは至高の愛するものを愛し、一つとなるようにハートを自由にします。私たちが神の御名を歌う時、私たちの本当のあり方がマントラの力により変換され、私たちの思考する心を全体性、聖なる段階へと転換させることを可能にするのです。それが音が最終的に存在にもたらすものなのです。もし神の聖なる現れが地球を支配するのであれば、それは音楽の力として現れることでしょう。 -Sharon Gannon 日本語訳 AKKIE