街にある心地よさ sthira sukham asanam PYS II.46 大地との繋がりは安定して、喜びに満ちたものであるべきです。  繋がりとはその対象とどのような関係であるかということを含んでいます。大地とは全ての現れているもの-全ての存在、全ての物事/事象を含んでいます。安定とは不変性、調和を意味します。そして喜びがいずこにあるかといえば、心の平穏と快適さのなかにあるのです。ほとんどの人々は自分の体、感情/感覚、仕事、毎日直面する他の人々や状況との関係性に快適さを感じていません。この不快さの原因は私たちが他の存在の生を不快にしていることにあります。ですから、私たちが自分自身と他の存在と共にもっと心地よく、くつろいでいたいなら、他の存在を快適にしてあげられて、そしてその次に自分のためになるような有効な方法を探すことは良いことです。  ヨギーにとっての快適さとは、喜びを捜し求め、苦痛をさけることではありません。私たちが自分の為に欲しいものがなんであれ、まず他の存在に心地よくしてもらえるようにベストを尽くすことで、それを手に入れる事が出来ます。私たちが他の存在に癒しをもたらすにつれて、私たちは全宇宙で分かち合う、永遠の癒しの源を見出すのです。そして私たちは近視眼的で自己中心的な喜びが自分自身や他の存在の持続的な癒しにつながるのだという幻想を振り払うのです。  しばしば、私たちは喜びがはかないものだと経験的に知っています。なぜならその瞬間を満喫するよりも、それが終わってしまう事を心配するからです。自分が苦しい状況にあるとき、私たちはそこから抜け出そうとします。でも、心地よさは誰にでも、どんな時にでもそこにあるものなのです。それは人が物事を深く捉えさえすれば、喜びの中心に、あるいは苦しみの中心にあります。ヨーガにおける心地よさに対する考え方では、心の平安は外的環境に影響されない内面からもたらされるものです。私たちはそれを持ち運び出来る心地よさと呼ぶ事が出来ます。なぜって、あなたがどこへ行こうともそれを持って行けるのです!良く知られている例は、ヨーギが釘のベッドに、最上の快適さでもって横たわっているというものです。トリックはありません、少なくともマジックとしてのものは。でも魔術は考え方をを変える事にあるのです。ヨーガの練習はあなた自身と他の存在に対するあなたの考え方をどのような瞬間であれ、どのような環境であれ、どのような状況であれ、変える為にデザインされている魔術的な練習なのです。悟ったヨーギは、世界というものを彼らのものとは見なしません。まして自分自身を周囲の犠牲者とか他の存在に虐げられているとか考える事はありません。悟ったヨーギは全ての存在とどんな状況でも、どんな環境に置いても快適でいられるのです。このようなタイプのスキルを得る為に必要な第一歩は共感を育てる事です。本当のところ、私たち自身の生を向上させる最も良い方法は、私たちがなし得る行動全てを他の存在の生を向上させる為にすることです。ヨーガの練習は私達に視野を広げ、他の存在の目を通じて世界を見て、大地に彼らのかぎ爪で、ひづめで、あるいは根で触れ、そして私たちに何が出来るのか理解させてくれ、シンプルな思いやりのある行動が私たちにとっても他の存在にとっても心地よい街を創り出すようにする練習方法を与えてくれます。  私はニューヨークのロワーイーストサイド、トンプキンズ・スクエア・パークの近くに1983年以来住んでいます。私は、ワシントン州シアトルからニューヨークに移って来た時にニューヨークが心に描いていたものとは違っていた事を覚えています。私が思うに、私の考えは”ティファニーで朝食を”のような映画に影響されていたのでしょう。それで、ある日家に向かって歩いている時に、馬に乗った警察官がアベニューB(そのときは未舗装でした)を駆け抜けて行くのを見てとても驚きました。それは誰かの追跡をしているところで、やがて公園の園内路に入り、芝生のスペースを占有していたテントと段ボール小屋の村で見失ったのです。私はそれがいつだったか忘れてしまいましたが、80年代に公園で暴動が起きていた間のある時、それは全ての仮小屋の撤去と閉鎖という結果になったのでした。ある日、私が建物から出たところでどこかのニュース番組のスタッフに呼び止め、街頭でインタビューしたのです。”市長が公園を閉鎖した事をどう思いますか?市民として、自然に触れる唯一の方法を断たれた事に怒っていますか?”私の答えは彼らの期待していたものとは違っていました。私はこう言いました。”私は公園が閉鎖されて良かったと思っていますよ。見てご覧なさい、公園はより幸せな場所になっています。木々は生い茂り、より安らいでいるように見えます。そして鳥達とリス達はきっと、一日中人間と関わる必要がなくて解放されているに違いありません。私が思うに、この公園はニューヨークの様な人口密度が高い都市部において、人を立ち入り禁止にして、隣人たる沢山の鳥達と小動物達、そしてもちろん木々と草と花達のための自然の場として保つべきです。”私達はニュージャージー州において、犬達を縛り付け、鳥達を籠に閉じ込め、キツネ達を毒殺し、熊達を銃で撃っているのです。まるで人間達だけが自由にうろつく権利があると思っているがごとくに。私たちは実験室の猿やネズミやネコの、そして農場の牛や羊や鶏達の生を不快で惨めなものにしています。私達は動物達に対する搾取と残酷な仕打ちを必要悪であり、人間の健康、幸福、そして快適さを増進する為に支払わられなけらばならない苦しい対価なのだと正当化します。そしていまだに私達は自己中心的に十分にお金持ちでない、幸せではない、心地よくないと不平を言うのです。たぶん、私達は周囲の苦しみに対する責任を取り、そして私達は実際に世界の中の私達と他の存在へより多くの幸せ、喜びと快適さをもたらす力があるのだと考えることから始められるでしょう。どんな環境であれ、住んでいるのがどこであれ、私達自身の心地よさを得る秘密は、他の存在に優しくあること、そして彼らを心地よくさせる為に何でもすることです。そして、私達自身の心地よさが確実なものになるのです。 -Sharon Gannon 日本語訳 AKKIE