ルネッサンス 人として、古い衣服を脱いで、別の新しい衣服を身に纏うように、 同じように肉体を持つものは、古い肉体を脱ぎ捨て、別の新しい肉体を纏うのだ。 バガヴァッド・ギータ第2章第22節  私たちは息をするごとに、そして一段階ごとに生まれ変わっています。生まれ変わることができるという考え方は再生や復活を表しています。ヨギにとって、呼吸は生命があること、そして新たな気息はそれぞれが新たな生きる瞬間であることを示しています。私たちがなすべき選択は、現実を作り上げることに自覚的に参加するのか、あるいは運命(真の意味で無自覚であること)の犠牲者にとどまるのかということです。命あるうちに意識的に生まれ変わろうと努力する者こそがjivamukta(ジヴァムクタ)です。私たちの生命が自覚的に再生する時には、それは命の根源と滋養となるものにつながり直していなくてはなりません。私たちが愛無き生を愛により成り立つ生へと取り換える時、私たちは再生するのです。私たちの目的意識と中核を成す価値に火がつくのです。再肉体化とは、人生が繰り返されることをあらわす別の言葉です。  ヨーガスートラで、パタンジャリ師はこうおっしゃっています。存在の基質は潜在的なものであろうと、今活動しているものであろうと、将来的なものであろと、あらゆる特質を含んでいる。ヨーガの練習によって、私たちは存在の基質へとより通じることができ、偉大なヴィジョンへと力をもたらすことができます。私たちが原因を変えたなら、それらは結果を変えるでしょう。ヨーガの練習は不幸の原因を捉えることができます。私たちが原因を変えた時、例えば、自分の意思を浄化したり、恐れや無知を取り除いた時、それらの変化の結果は人生においておのずと感じられるようになるでしょう。過去、現在そして未来に関する知識はサンヤマ-心の完全なるバランス、完全なる平静-を心の3つの形態に向けたこと結果であり、私たちを悟り(ニローダ、サマディ、エカグラタ:パタンジャリ師のヨーガ・スートラ第3章第9,11,12,16章を参照)へと導くのです。自分の心の中の過去の印象(サンスカーラ)を観察することで、前世の知識を得られます(ヨーガ・スートラ第3章第18節)。サンスカーラは私たちがヨーガの練習の時に、意識していない呼吸、動作、そして集中していない心として遭遇する困難さとして明らかです。あなたの死に対する知識はおそらく、シャバーサナでの活動的なそして潜在的なふたつのタイプのカルマに対するサンヤマから得られるでしょう。ヨギーのゴールは生まれ変わりのサイクルとサンサーラ、来ては去ることからの離脱です。それはその継続するサイクルを私たちがどのように克服できるのか、理解することからしか得られません。このゴールは心の動きを止めることのみから得られます。 ハンプティ・ダンプティ塀の上、 ハンプティ・ダンプティ落っこちた、 王様の馬全部と、 王様の家来全員でも ハンプティ・ダンプティを元に戻せない。  "Religare"英単語の"religion"(宗教)の元になったラテン語単語は、サンスクリット語の単語"hatha"と同じように、"to bind up"(縛る、結ぶ)を意味します。そして伝統的な宗教とヨーガの課題とは、壊れてしまった喜びに満ちた存在の一体性を結びつけること-分離を癒やし、全体として完全なものとして生まれ変わらせることです。                        -David Life 日本語訳 AKKIE