アサナとバクティ(愛を持って何をなすべきか) ヨーガの練習によって、ヨーギは聖なるものの偏在を見出す。(バガヴァッド・ギータ4章29節)  私が思うに、あなたがパタンジャリ師のヨーガ・スートラを深く読み込んだなら、それがバクティ・ヨーガであると分かるでしょう。パタンジャリ師は、神へと至る一番の近道は、あなた自身、肉体、呼吸、ハート、心、そして魂を神に委ねることだとおっしゃっています。ヨーガ・スートラの第1章第23節、Isvara pranidhanad va(イシュヴァラ・プラニダァナ・ヴァ)は”あなたの命と自己認識を神に捧げることによって、神を認識することが出来る”という意味です。神に身を委ねるとは、バクティであり、献身の道です。パタンジャリ師は、この指導をヨーガ(サマディ、永続する幸福の獲得)へ至るもっとも直接的な方法として与えて下さっています。私たちはそれを一足飛びの道と言うことが出来ます。あなたがものおじせずに、あなたの矮小で、条件付けられた自己をそのネガティブな感情も、不平不満も、哀しみも、失望も置き去りにして、全てを神に委ねることが出来たら、あなたは神の御意志の道具となることが出来るでしょう。これが、”あなたの御意志の道具として下さい。私のものではなく、あなた様のもの。私を怒り、嫉妬、怖れから解き放って下さい。私のハートを喜びと共感共苦で満たして下さい。”という神への祈りに表された内容です。神の本性は無償の愛なのです。  それでは、何故永遠の愛に身を捧げることがそれほど難しいのでしょうか。アヴィディヤがその躊躇いの原因です。アヴィディヤとは、真実の私たちに対する無知です。永遠の喜びとしての真なる自然を思い起こすことなく、私たちは誤った自己認識、そして肉体と感情と心、それらと同じように不平不満、他の人々の未解決の問題、死すべき身体に棲まう叶えられなかった希望を巡るものをしつこく主張するのです。私たちの身体は未解決のカルマの貯蔵庫です。カルマとは他の存在との未解決の出来事であり、私たちの孤立した自己、Jivaをを作り上げる卑小な自己が懸念するものです。ですが、私たちの真の自己、アートマンは永遠であり、至福に満ち、あらゆる苦しみから自由なのです。  全ての偉大なる存在は、最後には愛にひれ伏すことがあらゆる真実と永続する大切なものごとに到達する唯一の方法だと悟るのです。マーチン・ルーサー・キング・ジュニア師の心に残る言葉があります。”私は愛のみに従うことにしたのです。憎しみは背負うにはあまりに重い荷物なのです。” あなたが憎しみや怒り、失望や非難を他の存在に向けている時は、神への愛を抱くのは難しいでしょう。私たちのネガティブなカルマは他の存在との関係と絡み合っています。たとえば、誰かに対して怒ったとしましょう。その私たちの怒りは幸せや喜び、愛の経験の妨げになるのです。もし私たちがこの物質的世界での他の存在との関係を解決できないのであれば、幸せを得るチャンスも、まして神に至るチャンスも得られないでしょう。でも、どうすれば良いのでしょうか?憎しみと私たちの魂を苦しめる全てのネガティブな感情の克服を解き放ち、そして神と愛へと身を委ねるために。  最近、ある人が私にアサナの練習はバクティでありと成りうるのでしょうかと尋ねてきました。アサナの練習はバクティヨーガでなければなりません。アサナは愛と神への献身を持ってなされなければなりません。神に至ることがヨーガの究極の目的なのですから。アサナの練習の究極の目的は肉体を純化し、ネガティブなカルマを純化し、そして愛へと開かれることです。そのことが神なのです。あなたは神を愛することと、神の創りたもうたものを憎むことを同時にはできません。私たちが全ての存在と事々を愛することが出来た時、私たちを覆う無知のおおいは取り除かれ、真実(神の遍在)を明らかに見ることができるのです。ネガティブさを克服できた時、私たちは神の愛を得るのです。  それぞれのアサナはチャクラと特定のカルマ的な関係と結びついています。アサナの練習は自分自身と他の存在に対する認識を変えるマジカルな練習なのです。アサナの練習によって、あなたは他の存在との関係に含まれるネガティブなカルマを取り除くことが出来るのです。それぞれのアサナはこの点について厳密な科学なのです。立位のアサナがもたらすのは肉体の純化と両親、家庭とお金との問題を解決する機会です。前屈のアサナは恋愛、性的そして創造的なパートナーとの関係、ねじりのアサナは私たちが傷つけた相手との関係、後屈のアサナは私たちを傷つけた相手との、肩立ちのアサナは自分自身との関係、チャイルドポーズはあなたの先生との関係とのを解決する機会を与えます。頭立ちのアサナはサハスラーラ・チャクラ、神との関係へのアクセスをもたらします。あなたがアサナの練習を肉体と、あなたと他の存在の関係に基づくネガティブな感情の純化の為に、そして無知という重荷を下ろすために行うのであれば、真実の愛と幸福への入り口がもたらされることでしょう。あなたがアサナの練習をする時に、未解決の問題を抱えた人のことを考え、その人に愛を送るようにして下さい。日々の練習によって、愛はもっともっと誠実なものになっていきます。愛のみがネガティブな感情を取り除く力を持っています。それだけが愛に基づいた行動であり、大きな愛を悟る(バクティ・ヨーガのゴール)方法なのです。アサナの練習によって、あなたはより神を愛することが出来るようになるでしょう。この人生において、このことは達成すべき目標としてもっとも偉大なものなのです。 —Sharon Gannon 日本語訳(加納昭生)