マントラ 古代のヨガ教典の中では、神は音であり、音は神と宣言します:シャブダ ブラマン。そこには、神以外の何も存在しない。神は全て。神は真実。神は現実。神は音。すべての現実は、音の形-音楽-振動によって構成されています。肉眼で観る事が出来る物質は、音がスローモーション化したもので、聞く事ができ、その他の感覚機能でも認知出来ます。音が物質を生み出す―始まりは言葉でした。 私達のマインドー発声する、またはしない言葉によって、私達は自己の現実を構成しています。多くの人々は、自己から発せられる言葉がどれくらい周りに影響するのか、気づいていないのです。誰もが混乱、紛争、破壊、汚染、病気、絶望から作られた世界に住みたくはありません。この世界が、私達の言葉から構成されていると気づく人は少ないのです。他を騙し、非難、文句をつけ、責める事は、言葉を間違って使っているのです。怒りと絶望から発声された言葉は、破壊的な雰囲気を作り出します。 もしも現状に限界を感じたら、マントラを使う事で、普通とされている現実を超える事ができます。サンスクリット語であるマントラの意味とは “マインドを超える”、マンとはマインド、トラとは“渡り超える。”  マントラとは現実を変える、又は私達の見方を変える事が可能な、魔法の言葉です。しかしこの魔法の力を有効的に使い、私達の見解を変える為には、まずマントラとは呪文であり、呪文とは誠実な意図で、正しい発音によって唱える事により効果があるという事を心にしなければなりません。望んでいる効果を得る為には、マントラを唱え続ける必要があります。繰り返す事によって、魔法の効果が浮上するからです。 神が全てというのなら、なぜこの世は醜く、苦悩に満ちているのかと疑問を持つ人もいるかもしれません。現在ある環境破壊の原因は、人間の貪欲と無知にあるという事を考えてみて下さい。自然は神の規律と調和しています。私達は、自然に育つ資源を身勝手に 物質化し、それらを利益の為に売買してきたのです。お金を私達の神様として扱い、“金儲け”が私達のマントラとなったのです。ほとんどの製造物は、ゴミとして埋め立て地や海に捨てられ、汚染された世界を作り、有毒物質を流出することによって環境を汚染するのです。地球の基本的な原料的資源から作られたほとんどの物質は、製造段階で加工され、大地に戻る時に生物分解が不可能となり、大地を養う事が出来ないのです。 私達の作り出すゴミは世界を汚染し、多くの苦悩を生み出しています―宇宙の規律のハーモニーを聞くことが出来なくなった事が、それを象徴しています。神は私達に基本的な原料を与えますが、自然の法則に従った作り方をするかしないかの選択をも同時に与えます。与えられた音声を、オーケストラにて奏でる様に使用するのか、エゴや自我を形成する為に私用するのか、神は選択権をも与えて下さいます。 神は私達がどのような言葉を思い、使うかを選択させてくれて、それに寄って生活は築かれて行き、将来を決めて行く事になるのです。 バガバッドギータや他の教典曰く、死の直前に考えていることが次の誕生に深く関係している。事故や飛行機墜落事故に遭遇した時に、残念ながら多くの人のいう最後の言葉とは “クソ”、無意識的に次の誕生へこの言葉が影響をするのです。偉大なヨギであるガンジー師はマントラの暗唱の練習を怠らず、暗殺された時に“ラム(ヴィシュヌのアバター)”と唱え、次の魂の誕生に対しての良い方向を授けたのです。 神の性質とは、サッチッタアナンダ - 存在 ( サット) 、知識 ( チット ) と至福 ( アーナンダ )。神は全知で偏在、神の至福を知りたいのなら、あなたの思う事、言う事の一つ一つに集中をするのです。 神様は礼儀正しいので、意図的に呼ばれるまではあえて私達を干渉したりしません。誰かを呼ぶ時には、その人物の名前を知っていると役に立ちます。神様においても同様で、振り向いてもらうには神様の名前を呼ぶ事です。“そこのあなた”ではダメです。具体的でなければならないのです。 サンスクリット語は、洗練されたスピリチュアルな言語です。神の名を讃えるサンスクリット語のマントラは、特に強力です。多くの人々 は無意識に、世俗的で破壊的な思考と言葉を築き、そこからは陰気な苦悩のみを確保してしまいます。賢者は 神の名前を詠唱し、否定的な現実を分解する様に努めます。音は、形状より先行する。神の名 ( ナマ ) は神の形 ( ルパ ) を作る。神の名前とは、神自身です。聖なる雰囲気に宿りたいのなら、彼の名のマントラを唱えて葛藤、恐怖、怒り、絶望、全ての些細な心配事を取り除き、アーナンダ ( 至福 ) の現実-あなたの真実のホーム(OM)へと導いて行きましょう。 ―Sharon Gannon 翻訳_クマリ、パドミニ