Focus of the month, 2015 December Evolution is an intelligent plan 進化は知的なプラン 「人類は変化する生き物です。まだ完成形ではないのです。人類が超人類になる段階は地球上で次におとずれる偉業なのです。 内なる精神の意図するところと自然が発展するプロセスの論理とが同時に起こりうるからこそ、それは不可避なのです。」   オーロビンド・ゴーシュ 「そこに進化も宿命もない、ただ存在があるだけだ」  アルバート・アインシュタイン マサイ族には創造の神話があり、そこではキクユ族の神ンガイが、まずはじめに牛たちを地球に住まわせ、そののち牛の世話をするマサイ族の人々を地上につかわし、 群れをつくらせ、牛とそのミルクで人間たちが生命維持するようにした、となっています。 マサイ族の友人が私にしてくれた話では、過去のどの時代にも、牛と人間がお互いの存在なしに地球に生きた時代はないというのです。 彼によると、いかなる昔話にも、牛たちが現在と同じ姿ではない生き物として物語に登場してくる時代はないと主張するのです。 この話に好奇心が沸いたので、いったいいつどこで最初の牛と人類がアフリカに現れたのか、その考古学的概念を探してみました。 現在推定されている牛の祖先はオーロックスとされており、彼らの生きた最も古い記録では200万年前にインドから来たとされています。 そののちオーロックスは27万年前にヨーロッパやアフリカに渡り新しい亜種を形成しました。 初期の人類の祖先がアフリカに住みついたのが600ないし700万年前と推定されているので、そうすると人類は牛たちよりも数百年前に地球に存在していたことになるのです! これを証明する根拠は、様々な年代測定の技術、そして化石の記録によりあきらかです。 しかし200万年前から700年前のオーロックスも人類も、どちらも現在の姿とは似ていないのです。 両者はともに明らかに変化してしまったのです!マサイ族の神話においては、人類も牛たちも現在と同じ姿形でこの世に現れ、今に至るまで変わっていないというのに。 進化と創造について語るとき、そのどちらともがお互いを理解不能なものとみなすのです。 マサイ族の友人なら、彼が共に生まれ育ちずっと信じてきたであろう神話に、ほかの可能性があるなんて信じられないでしょう。 それどころか神話について考察するのに疑問を呈することもないでしょう。 けれど私の立場からすれば、この時代に至るまで人類も牛たちも姿を変えずに進化したということを信じることのほうが難しいのです。 サーンキヤ哲学で「パリナマ」とは進化する宇宙を表現する言葉です。 「ダシャヴァータラ」とはヴィシュヌ神の10個の基本的なアヴァターのことで、魚、亀、猪、半人獅子、 そして小人(そのあとはすべて人間の姿ですが)という具合に連続する進化の経過を象徴しています。 「ラーマーヤーナ」ではヴァラナシという人間の知能を備えたサルのような生き物も登場します。 私達のいるこの宇宙が拡大し続けていることは、ビッグバンとよばれる宇宙創造の瞬間があったということを示唆しています。 ではいったい創造の瞬間があったことと、それに不可欠な側面として今も続く創造(生命の誕生)を進化とする、 という両論は真実といえるのでしょうか? 新しい理論である「インテリジェントデザイン」の考え方は、進化を非常に秩序だった方向性のある変化の連鎖が 「偉大なる知性」によって生み出されているものだと提唱しています。 それはむしろ、生物の環境に運や不運が無作為な事象として連続的に起こったことで生態は変容をもたらした、とする考えとは別のものです。 この新しい理論は創造主としての神と進化論者の言説の両者を一体化しようとしています。 次におこる人類の意識の進化について、意識が肉体を離れて不死のコンピュータに変容する、という考えを信じている人もいます。 たしかに私達はすでに、体や脳の一部がコンピュータで作動するスペアに取りかえられた事例を知っています。 なかにはコンピュータの知性が人類を完全に時代遅れの代物とし、人を創造した知性をはるかにしのぐ日が近いだろうと考える人もいます。 私達は進化の途上にある姿を目の当たりにしているのでしょうか?それとも今の私達は目立たない進化をしているのでしょうか? スティーブン・ホーキング氏は「人工知能は人類の終焉を預言しうる」と述べています。 彼の考えで言うならスーパーコンピュータが新しい兵器を設計し私達を絶滅に陥れることもあるかもしれないのです。 ここでしばらく肉体と知性をわきにおいて考えると、話題の中心は意識そのものが進化するのかどうか、ということになりそうです。 スピリチュアルな観点から見ると意識は進化しようがありません、なぜなら意識はすでに完全に進化したものだからです。 ただし意識は無知で覆われ隠れています。アヴィディア(無知)がはがされていくにつれて、私達は完全に意識が現れる状態へ「後戻りする進化」をします。 ヨガを通して意識が進化をすると、とぐろを巻いたクンダリーニが起き上がり、脊柱の底辺から頭頂のチャクラへと動き出すのです。 この螺旋の動きが上昇する道のりこそ本当の進化の物語、スパンダなのです。 それは身体に取り付けるコンピュータのスペア部品など超えたもの、そうです、悟りの境地への道のりなのです。 December 2015 David Life (翻訳 rei miho ueda)